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人生に無駄なものはないという視点に立てば、何が仕事で何が遊びなのか分別できない
面があります。自分でこれは仕事で、これは遊びと割り切らなければ境界線を引けない
ものかも知れません。
一般的な区分では生活費をかせぐ作業が仕事で、金銭にあまり関係がない充実した余暇を
楽しむ作業が遊びだとされますが、そう簡単に割り切れるものでもなさそうです。
その昔「禁じられた遊び」というフランス映画がありました。ギターのテーマ曲でも有名
ですが、その中で空襲で両親をなくした主人公の女の子(ブリジットフォセー)が、
死んだ動物のためにお墓を立ててあげようと、少年と組んで教会の十字架を盗む
というシーンがありました。
その行為はお金を稼ぐ行為ではないので、遊びなのでしょうが、その女の子にとっては
生きている証、すなわち生きるための仕事ではなかったのでしょうか。
こう考えますと私たちの行為のすべては、すべて生きていくために必要なものであって
そこには無駄もないかわりに、通説的な仕事も遊びもないような気がします。
「よく学び、よく遊び」という道徳観があります。何事も一生懸命にとの教訓なのでしょう。
それはそれで理解できますが、一生懸命の対象が自分であるか他者に対してであるかが
より重要なことではないでしょうか。
動物も含めた私たちは、終わりのない魂をいただき、今日この現世で生きています。
前世がどうであったか、来世がどうなるのか、現世にいる私たちには知るよしもありません。
テレビに出てくるスピリチアルの人がどう言おうが、知らないようにした御仏のこころを
慮ればその意義も自ずと解釈できるようになると思いますが。
「終わりのない遊び」は、現世での限界を感じた人にのみ、与えられたご褒美です。
人が森羅万象に膝を屈し、自分ができることはあまりにも限られていると感じられた
人にのみ与えられる浄土への切符のような気がします。
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